1. 池袋の歴史と将来

池袋の歴史と将来

池袋の歴史

池袋の将来

池袋の歴史

江戸時代の池袋

江戸時代の池袋は、「池袋村」で農村でした。今のような繁華街となったのは、明治に鉄道駅ができて以降です。

池袋の地名自体は、古くからありました。地名の言われの一つは、池袋村の地形が、袋のようであったから、というもの。二つめは、巨大な池があったため、というもの。現在の元池袋史跡公園の丸池跡がこの地名の由来といわれています。

池袋の供養塔

池袋が開発されたのは、鉄道ができた明治時代以降のこと。それまでは農村「池袋村」でした。

パルコの東にひっそりと公園があり、そのなかに供養塔があります。これは享保六年(1721年)に建てられた辻斬り被害者鎮魂の供養塔。そのころの池袋は、人家もまばらな街道筋だったようです。

池袋駅の誕生秘話

池袋駅は、1日当たりの乗降客が約270万人で、新宿駅に次いで全国で2番目に利用が多い駅です。これは、なんと世界ランクでも2位にあたります。JR、東部鉄道、西部鉄道、東京メトロの計8路線が乗り入れ、東京西部のゲートウェイとして機能しているのが池袋駅です。

さて、今でこそこれだけの規模に成長した池袋駅も、その誕生は決して華々しいものではありませんでした。明治18年に品川~渋谷~新宿~板橋~赤羽を結ぶ品川線が開通。その後、常磐方面から横浜への輸送のため、上野から田端~目白への新線・豊島線が計画されました。当時は、目白に駅を設置する予定でしたが、住民の反対が激しく、止む無く池袋に駅を設置することになりました。そして明治36年、豊島線の池袋~田端間が単線で開通し、池袋信号所からの昇格で「池袋駅」が開業しました。

品川線?豊島線?今はどうなったのか?明治42年に統合されて、今はみなさんおなじみの山手線になっています。

( 参考文献:江戸東京物語―池袋・中山道界隈 )

 池袋駅の誕生秘話

池袋モンパルナス

昭和の初め、池袋の西に多くの画家や詩人が住みつきました。それは、フランス・セーヌ左岸の芸術家の町にたとえられ「池袋モンパルナス」と呼ばれました。  昭和10年代、池袋モンパルナスには、百軒を超えるアトリエ付き借家があったといいます。間取りは、15畳のアトリエに四畳半の居室。池袋モンパルナスがあった場所は、現在の長崎、千早、要町で、池袋のさらに西のほう。  現在、池袋モンパルナスの名残はほとんどありません。最大規模のアトリエ村「さくらが丘パルテノン」跡は、のどかな児童遊園となっています。そこには、夢と希望と野心にあふれた芸術家たちが見上げて歩いた桜並木の桜が、ひっそりと一本残っているだけです。

( 参考文献:池袋モンパルナス 大正デモクラシーの画家たち (集英社文庫)/宇佐美 承 )

池袋と闇市

池袋に場末と暴力のイメージがあるのは、戦後の闇市の影響があります。

池袋に闇市ができた理由は、戦後、朝霞に進駐軍が駐屯し、米軍の闇物資が池袋に集まったからです。また、山手線、東武東上線などの鉄道ターミナル駅として、交通の要衝であったためのようです。

その当時の池袋は、暴力があふれ、玄人筋の街でした。1,200件以上の商店、飲食店、バー、飲み屋がひしめく、一大歓楽街でもありました。

池袋西口の闇市が姿を消したのは昭和37年。闇市が一掃されたあとが、現在の池袋西口公園です。

外国人はなぜ池袋に集まる?

池袋駅の北口には、中国系の料理店や物産店が200店も立地しています。そのため、池袋にチャイナタウンを作るという構想まであります。当然のことながら、池袋にはアジア系の外国人が多くいます。ではなぜ池袋に外国人が多く集まったのでしょう?

池袋は、戦後のヤミ市のイメージから、現在でも場末の印象を持つ人が多くいます。ことに東池袋の旧・日出町(現在の東池袋4丁目、5丁目)は、当時、墓地、脳病院、孤児院といった施設があり、現在サンシャインが建っている場所は、東京裁判で記憶に残る巣鴨拘置所があったなど、マイナスイメージのある地域です。

サンシャインシティに隣接する旧・日出町地区は、戦前から木賃アパートが密集する地域でした。戦後は、安い住まいを求めて地方出身者が日出町に集まりました。

しかし、暮らしが豊かになっていく中で、日出町のアパートに住む人が減り、空室が増えていきました。その空室に、1980年代からアジア系外国人が住まい始めたのです。アパート経営者にとっても空室を埋めてくれるためありがたい存在でした。アジア系外国人も池袋の繁華街で職が得られ、安い住まいも得られるといったメリットがあったのです。

( 参考文献:池袋のアジア系外国人―社会学的実態報告 )

 外国人はなぜ池袋に集まる?

外国人人口割合と世帯割合
データ:国勢調査(H22)&池袋周辺地域まちづくりガイドライン

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池袋の将来

池袋のLRT構想

池袋の東口には、LRTを整備する構想があります。LRTは、Light Rail Transitの略で、日本語では、軽量軌道輸送と訳されます。簡単に言えば、路面電車のことなのですが、そこは先端技術を採用して快適性を高めた乗り物になっており「次世代路面電車」とも言われています。

もし、東口にLRTが整備されれば、東京初ということになります。ルートは、東口からサンシャインに向かい、サンシャインシティをぐるっと周り、グリーン大通りを帰ってくる計画です。

LRTを整備する理由は、駅前に集中する自動車の混雑解消。サンシャインシティの近くに大規模駐車場を作り、クルマはそこで降りてもらい、あとはLRTで池袋駅周辺に来てもらう。駅前に自動車が乗り入れなくなるので、駅前の混雑が解消することになります。

表立った理由は混雑の解消ですが、このLRT整備は、街の様子を一変させることになります。LRTの整備と同時に、駅周辺が歩行者専用道路のトランジットモール化されるからです。歩行者専用道路は、サンシャイン通りのような歩行者天国のことで、LRTはその中をソロソロと走ります。

構想では、グリーン大通りがトランジットモール化される計画になっており、実現すれば人の流れが大きく変わります。グリーン大通りがサンシャイン通りのような歩行者天国となり、現在はオフィスビルが中心のグリーン大通りが、商業エリアへと変貌して行くことになるかもしれません。

一周2kmの池袋東口LRT。実現すれば面白いのですが、果たしてどうなるでしょうか。

池袋駅西口駅前広場整備計画

池袋駅西口地区市街地再開発準備組合は、三菱地所と三菱地所レジデンスの2社を事業協力者として承認し計画を進めています。
この計画は、池袋駅西口に位置する東武百貨店(メトロポリタンビルを除く)、西口公園、バスターミナルを一体で再開発するもの。
対象区域の面積は、宅地面積約2.7ha、道路面積約2.3ha、公園面積約0.3ha、合計5.3haとなっており、大規模な計画となっています。

2018年度に都市計画を決定、2020年度に再開発組合の設立許可、2023年度以降に、既存建物の解体除去工事・新築工事を開始する予定です。

駅前広場の整備と、周辺ビルの整備が進めば、西口のイメージもがらりと変わるかもしれません。

池袋駅西口駅前広場整備計画
池袋駅西口駅前広場整備計画
( 参考:池袋駅西口駅前広場周辺整備事業(豊島区))

池袋駅西口
池袋駅西口/東武百貨店、西口公園を含む5.3haを再開発
( 流通ニュース )

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